アドレポ ~テープおこしの音セトラ

(株)アドレスの情報アーカイブ Report from ADDRESS

何でもおすすめ!その9~ 蔵書整理のメソッド

Web全盛の世ではあるが、流れ来て去っていく情報ではなく、知識としての保存を考えるとやはり本の体裁がふさわしいと思う。
別に万巻の書があるわけでもないが、折に触れて求めた本が本棚に納まらなくなって床に置かれるようになって久しい。家人に「起居する部屋とはいえない、物置だ」とまで言われてはなんとかしないわけにはいかない。究極の夢は壁に本棚を作りつけてあるだけの本を並べることだが許されるべくもない。
新しく本棚を買って置く場所もないので少し整理した。つまり捨てた。ダンボール箱に入れて積み上げる方法もないわけではないし、現にそうされている本も少しはあるが、本は目に触れる所にあってこそのものである。押入れの奥のダンボール箱を開けてまで出して読む根性は最早ない。

整理に当たって残留を決めるボーダーは極めて単純だ。
1)今後読むか読まないかにかかわらず残しておきたいもの。
 (でも大抵は全集もので、読んでみようと思うものが一つは入っている。
  買ったことで満足して読んでいないことが多い。)
2)もう一度読んでみたいもの。
 (わずかしかない。)
3)何か役立ちそうなもの。資料となるもの。

そうやって、カラーボックスに入れられてとにかくアクセスはできるようにしたものが押入れの一角を占めた。その一方で久しぶりにめでたく本棚で背表紙を見せることができるようになったものもある。部屋の見た目が少しはよくなった。

後日談を二つほど。
その一。新聞の「古典を読みなおしてみよう」みたいな記事で書かれていた粗筋が自分の記憶にはまったくない筋。確かに読んだのになと思いつつ引っ張り出してみると、しおりが初めの数ページのところに挟まっている。自分の習性として読み終えたら本の最後に挟んでいるので、どうも読んではいなかったようだ。もちろん読んで全く新鮮に感じ、書かれていたとおりの筋であったことを確かめたことは言うまでもない。

その二。久しぶりに日の目を見た『吾輩は猫である』にこんな一節を見つけた。「どうしたら好かろうと考えてよい知恵が出ないときは、そんなことは起こる気遣いはないと考えるのが一番安心を得る近道である。また法のつかないものは起こらないと考えたくなるものである。」
ん? どこかで聞いたことのある言葉だぞ。

ところで、肝心のおすすめは、「蔵書はアクセス可能な範囲に置くべし」である。より一般的には「本の所在はアクセス可能な範囲であるべし」と言った方がいいかもしれない。アクセス可能性は、どこに置いたかという記憶力とそれを探し出す体力で補うもよし、公共の施設で補うもよし、まさに手の届く範囲に限るもよしである。
(TTL制作部 K.N.)